「努力に勝る天才なし」とは、「目標のために努力する人は、生まれつき優れた才能を持つ人より秀でている」というように解釈できます。日常生活で使う時には、「コツコツ真面目に努力してきた人以上の天才はいないよ」というようなニュアンスで使われるようなのです。ネットからの参照です。最初は映像の勉強をビデオクラブで行っていました。そこでは映像を作ることストーリーを考えて起承転結そこにロング・メディアム・アップの絵を配置してゆく。そんな事を10年間先輩から教えられたり、自分ではビデオサロンの本を読みながらやっていました。それである時方向が変わりました。ビデオスイッチャーという機材に出会った時でしょうか。3台も購入したのでその入れ込みようは予測を裏付けるものです。この2年間はコロナ禍でStayHomeとかでもっぱらオンライン(ZOOM)などでいろんな機材やソフトを使ってどうしたらライブ配信が出来るのかを毎日鍛錬して来ました。ビデオサロンなども内容が変わりましたね。一回り上の先輩には何を意味しているのか分からない・理解できないと言うのです。どう言うことかというとネット上で(クラウド)でやるステップに変わってしまったからです。スマホもそうです。もうできない人はできない仲間として分かる範囲で楽しむ方向に・・・。もし間違っていたらご容赦ください。その先輩方にはクラウドで出来る事がどう言う事なのかが理解できない方々なのです。だからどうしたという反論には素直に言葉を返すことは致しません。ネット回線が光回線になってとても早くなりアップロードもダウンロードも今までとはとても違う世界なんですよ。と言っても別の世界で生きているからそんな無駄な通信費はとなってしまいます。そこで最後に努力すればデジタルが使えるようになります。最初からデジタルが分かる人はいないはずです。だって便利なデバイスが次から次へと開発されているからです。私のノートパソコンは22時間も電源なしで働くというかって無い製品ですが次の新しいマシンにはもっと早い速度で出て来るのですから。それは時代の流れなんです。いつの日か私もデジタルが分からなくなる日が訪れることでしょう。
