親からの教えは数えられないという。親を失ってもう随分時は流れました。でもいくつか親が話してくれたことで印象に残っている言葉がある。父親とは9歳で別れた小学3年生の時だった。心筋梗塞であった。元気で晩酌をしていて急に具合が悪くなって旅立った。ある日山仕事についていった時に大きくなったら何になりたい?と聞かれたことがある。新聞記者になれたらいいなぁと思っていると答えた。すると普通では成れないよと・・・。余程学問しなければダメだと言われた。上の兄貴が高校入学する時勉強を教えていたので父は相当に学問に通じているのだと思った。そういう訳で高校時代は世界文学にのめり込んだ。有名な本は片っ端から読んだ。大概は図書館から借りたが町に一件だけあった本屋からも買ったきて読んだ。「風と共に去りぬ」、「陽はまた昇る」、「 車輪の下 」ロシア文学では「アンナカレーニナ」やトルストイの「戦争と平和」等々。だが今現実にロシアはウクライナと戦争をしている。
あの時素直に世界文学に目覚めそして日本文学も社会に出て楽しんだ。 小説の世界では無い現実に多くの罪のない市民が殺されている。私の青春時代、ロシア経由でヨーロッパに渡った。ナホトカ・モスクワ・サンクトペテルブルクそしてヘルシンキへ。あの時はアメリカとソ連で宇宙競争をやっていた。モスクワの街で体験したのは日本人を見て「セイコー買いたい」といわれた。コペンハーゲンからロシアの船でロンドンに渡った。ロシア民謡は憂いのある日本人に愛された。ともしび・・歌声喫茶。毎日のテレビニュースや新聞に伝えられているウクライナの惨状。常識では考えられない時代になっている。戦後っ子として一番人口が多かった世代(1947年) 親からの教えには想定されない問題に違いない。
